フュージョンなんて知らないよっていう人が読むブログ

Ahkeem HopkinsによるPixabayからの画像

このページは音楽ジャンルの「フュージョン」とは何かについて紹介するページである。

大雑把に言えばフュージョンはジャズの派生で、ロックやR&B 、ファンクの要素を飲み込んで大きくなったジャンルである。

主にラジオ番組やテレビ番組のBGM、たまに書店やスーパーのBGMにも使われているアレである。
インストゥルメンタルがメインで、70年代後半~80年代後半は歌モノも多かった。

フュージョンのはじまり

定説によれば、1960年代後半にマイルスデイヴィスエレクトリックジャズを始めたことがきっかけということになっているが、じつはこれだけではないのである。

マイルス・デイヴィスと同時期に活躍したジャズギタリストのウェス・モンゴメリーは1967年にアルバム「A Day In The Life」でイージーリスニング寄りのジャズを展開していた。

②ヨーロッパ帰りのスタン・ゲッツは、ジョアン・ジルベルトとともに「イパネマの娘」で、ボサノヴァを世に広めてジャズの新たな境地を切り開いた。

③1960年代半ば、キャノンボール・アダレイが「Mercy Mercy Mercy」(ウェザーリポートのジョーザヴィヌル作曲)をリリースして、ソウルとジャズの融合を試みていた。

④1960年代半ばからラリーコリエルがすでにジャズとロックの融合を試みていた。

上記のことが同時進行的に進んでいたと考えられる。

フュージョンの定義

そもそもフュージョンの定義って何だろうか?
一般的にはロックとジャズの融合と呼ばれてるけど、それを言ったらジャズロックやプログレッシブロックはどうなってしまうんだという話で。
確かにプログレとフュージョンってどこか似ている。それも当然の話で、元キングクリムゾンのドラマーであるビル・ブルーフォードはフュージョンの分野でも活躍していたし、ジェネシスのボーカル・ドラマーのフィルコリンズはフュージョンバンドのブランドXで活動していた。
1970年代後半には、ジョンウェットン(元キングクリムゾン、エイジア)とアランホールズワースなどがいた、プログレとフュージョンの混合バンドUKは、2~3年の間ではあるが活動していた(当時はパンクの流行が重なり、欧米でのセールスはボロボロの有様だった。対して日本では熱狂的なファンが多くいた。)。
そもそもなぜフュージョンと名付けられたのか?
さかのぼること1970年代前半、マイルスデイヴィスがエレクトリックジャズに挑戦した後、グループに所属していたミュージシャンたちは、マイルスが追及していたロックとジャズの融合をさらに発展させようとした。
それらは最初、クロスオーバーと呼ばれていた。今でもよく使われているカタカナ言葉だから意味はだいたい想像はつくと思う。要するにロックとジャズのコラボだからそういうネーミングがされたわけである。
その当時のアルバムを聴いてみると、とっつきにくさを感じるかもしれない。なにせジャズをロックで演奏するわけだから、調和できていない印象が否めない。結果的に前衛的な雰囲気がつきまとってしまう。
それに1曲が非常に長い。10分以上になる楽曲はざらにある。アルバムを聴きとおすのはしんどく感じるかもしれない。
一方で、クルセイダーズやジョージベンソン、ラリーカールトン、リーリトナーのようにR&B、ソウル、ブルース、ラテンを取り入れたプレイをするミュージシャンが台頭するようになった。都会的で聴き心地の良さが相まって、それが大衆に受け入れられるようになる。
この動きもあって、クロスオーバーからあらゆるジャンルを融合した「フュージョン」へと名称を変えた。
時を戻そう。
フュージョンの定義はざっとこんな感じだろう。
1、ロックやR&B、ファンクのリズムである8ビート、16ビートで演奏されているか。
2、それぞれのパートのアドリブがあるか。
3、バンドにキーボードは必ずいるか。
最近は必ずしもこの条件があてはまるわけではないかもしれないが、大きく外れてはいない。
これと似たジャンルにジャズファンクやアシッドジャズがあるが、話が長くなるので別の機会に説明する。

代表的なバンド

代表的なバンドは、リターントゥフォーエバー、ウェザーリポート、クルセイダーズ、スタッフ、イエロージャケット、24丁目バンド、ジェフ・ローバー・フュージョン、スパイロジャイラ、シャカタク、LEVEL42など。
日本でいえばT-SQUARE、カシオペア、プリズム、パラシュート、DIMENSION、Pyramidなど。

代表的なミュージシャン

下記にあげるミュージシャンはあくまで代表例で、他にも凄腕は多くいる。
自身の所属しているバンドやリーダー作の他にも、高い技術力をかって有名アーティストのサポートメンバーを務めたりしていることもある。
ギタリストにジョンマクラフリン、アルディメオラ、アランホールズワース、ラリーカールトン、リーリトナー、ラリーコリエル、アールクルー、ジェイグレイドン、スティーブルカサーなど。
日本では、安藤まさひろ、野呂一生、増崎孝司、和田アキラ、大村憲司、松原正樹、鳥山雄司など。


キーボーディストにはチックコリア、ハービーハンコック、ボブジェームス、ジョーザビヌル、エウミールデオダート、デヴィッドフォスター、ジョーサンプルなど。
日本では、和泉宏隆、向谷実、小野塚晃、深町純、塩谷哲、松岡直也など。

ベーシストには、アルフォンソジョンソン、ジャコパストリアス、チャックレイニー、スタンリークラーク、マーカスミラー、アンソニージャクソンなど。
日本では、須藤満、櫻井哲夫、鳴瀬喜博、日野賢二、後藤次利など。

ドラマーには、ビリーコブハム、スティーブガット、オマーハキム、スティックスフーパ―、スティーブジョーダンなど。
日本では、神保彰、則竹裕之、熊谷徳明、村上・ポンタ・秀一、青山純、菅沼孝三、坂東慧など。

フュージョンの歴史

アメリカでは1970年代が最盛期で、初期はクロスオーバーと呼ばれることが多かった。マイルスエレクトリックバンド出身のチックコリアハービーハンコックジョンマクラフリンなどはそれぞれバンドを結成したり、ソロでリーダー作をリリースしながらフュージョンの基礎を創り上げていった。
1970年代後半にAORとの結びつきも強く、名プロデューサーであるデヴィッドフォスターエアプレイのギタリストのジェイグレイドンTOTOスティーブルカサージェフポーカロもフュージョンミュージシャンのサポートをしていることが多い。




1990年代にはフュージョンはアドリブを抑制したスムースジャズにとって代わられた(両者はジャズコンテンポラリーというジャンルにカテゴライズされている)。初期はデヴィッドべノワやリッピントンズ、ケニーG などが活躍した。


それまでのフュージョンミュージシャンは、スムースジャズ色を強めながらも独自の道を模索していた。
例えば、リーリトナー、ハーヴィーメイソン、ボブジェームス、ネイサンイーストの4人でAORとイージーリスニングの要素を取り入れた「フォープレイ」を結成して、プログレッシブロックバンド・ジェネシスフィルコリンズなどのボーカルとフィーチャリングしたり、ベーシストのマーカスミラーマライアキャリーホイットニーヒューストンのサポートメンバーに参加したり、ソロアルバムにヒップホップなどの流行ジャンルを取り入れるなど多彩な活躍をしている。
また日本では坂本龍一がAORやシティポップス、フュージョンの分野でもキーボードを演奏していたり、J-POPの名プロデューサーである笹路正徳は1980年代にフュージョン色の強い「マライア」に参加したり、渡辺香津美(KAZUMIバンド)の作品にキーボードとして参加していたりと、音楽のルーツがフュージョンだったというミュージシャンも多い。

日本の場合は1980年代が最盛期で、T-SQUAREやカシオペアをはじめとして、難波エキスプレス、チキンシャック、パラシュートなど多くのバンドが活躍していた。しかも、ニュース番組、自動車のCMのBGMに使用されたり、テレビやラジオではフュージョン専門の番組が組まれていたくらい、フュージョンは今よりも身近だったのだ。
しかし、1990年代になると人気は下火になる。T-SQUAREはF1のテーマ曲である「TRUTH」のヒットによって、90年代以降もアイルトンセナのテーマである「FACES」やアランプロストのテーマ「明日への扉」、バルセロナオリンピックのテーマ「RISE」などスポーツの分野で存在感を示したが、2000年代以降はリアルタイムのファンよりも下の年代はF1のテーマは聴いたことがあっても、それを演奏しているのが誰かは知らないという人が多くなった(あくまで自身の印象である)。



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