フュージョンベーシストのジャコ・パストリアスを聴いてみる

Free-PhotosによるPixabayからの画像

今回はフュージョンベーシストのジャコパストリアスを紹介する。

元はドラマーだった

彼は元々ドラムをプレイしていた。しかし、13歳にフットボールでの怪我によってドラムを諦めざるを得なくなった彼は、代わりにベースギターに持ち替えた。

彼のドラムプレイはウェザーリポートのアルバム「ヘヴィーウェザー」の「ティーンタウン」でも聴くことができる。ちなみにこのアルバムのM6「パラディアム」ではスティールパンを演奏している。

ウェザーリポートのベーシストとして活躍

ジャコはフロリダでライブ中だったウェザーリポートにラブコールを送っていたそうだが、キーボードのジョー・ザヴィヌルに無視されていたそうだ。しかし、ジョーは彼のデモテープを聴いて考えを改め、ウェザーリポートを離脱することになったアルフォンソジョンソンの後任ベーシストの座を獲得することになった。

ジャコが本格的に参加したアルバム「ヘヴィーウェザー」は、ジャズスタンダードになった「バードランド」やスピード感あふれるジャコの名演「ティーンタウン」などが収録されており、現在でも名盤として名高い。

ジャコは脱退する1981年まで、ウェザーリポートに参加した。

破滅への道

ジャコは薬物乱用と双極性障害により、音楽活動に支障をきたすようになる。この傾向はウェザーリポート脱退直後から顕著になり、それに起因したものかは分からないが、ニューヨークのジャズ・クラブを出入り禁止になるほどの奇行を繰り返していた。

彼は2回精神病院に入院した。一度目は音楽仲間のマイケルブレッカーに説得され、二度目はホームレスになっているところを前妻に助け出されて。

しかし、その間にも彼は小規模のライブやレコーディングには出演していたのだから、それだけ仲間に恵まれれていたのかもしれない。

1986年にリリースされた盟友マイクスターンのアルバム「Upside Downside」。M4「Mood Swings」のレコーディングにジャコは参加している。

しかし、前述のようなことがあり、1985年からの彼の足取りが掴めなくなっていく。

そして、悲劇が起こる。1987年、地元フロリダのクラブにジャコは現れた。泥酔状態だった彼は店のガードマンと喧嘩になり、ジャコはコンクリートに頭を打ち付けて意識不明の状態になった。

植物状態になったまま意識の戻らない彼は、家族の決断により生命維持装置を外され、35年の短い生涯を閉じた。

生前、ジャコはトップベーシストとしてのプレッシャーに苦しんでいたという。数々の伝説を生み出した彼は、皮肉にも自らの才能によって身を滅ぼしてしまったのだ。

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