フュージョンギタリストのアル・ディメオラを聴いてみる
今回はフュージョンギタリストのアル・ディメオラを紹介する。
リターントゥフォーエバーの三代目ギタリスト
バークリー音楽院に入学したものの、「何も学ぶべきものはない」(一度は言ってみたいものよ(▀̿Ĺ̯▀̿ ̿))と数か月で退学したアル・ディメオラは、1974年にチックコリアのバンドであるリターントゥフォーエバーに加入、アルバム「銀河の輝映」「ノーミステリー」「浪漫の騎士」で、派手で華麗なギタープレイを披露している。
彼のプレイを聴けば、なぜバークリーを退学したかがよくわかるだろう。常に独自の道を歩んでいる彼にしてみれば、学問としての音楽など窮屈でたまらなかったのかもしれない。1976年にアルはデビューアルバムをリリース、彼が参加した最後のアルバム「浪漫の騎士」リリース直後に、ドラムのレニーホワイトとともにリターントゥフォーエバーから脱退した。
ラテンフュージョン=アル・ディメオラを確立させた、「エレガントジプシー」
両親がイタリアの移民だったこともあり、地中海のラテン音楽に慣れ親しんでいた彼は、1977年に、アコースティックを前面に出した2ndアルバム「エレガントジプシー」をリリース。スペインのギタリスト・パコ・デ・ルシアと共演し、激しいスパニッシュギターの応酬が繰り広げられている。フュージョンに限らず、こういった異なるジャンルの融合は移民大国アメリカならではの文化的特徴である。後に二人は、ジョンマクラフリンも加えてアコースティックトリオを結成している。
1980年代はエレクトリックジャズに傾倒する。
1983年にキーボーディストのヤンハマーと共演したアルバム「Scenario」をきっかけに、1985年にギターシンセサイザー「シンクラヴィア」を導入、アルバム「Cielo E Terra」で演奏している。
どちらかというと、アコースティックギターのアルディメオラよりも、リターントゥフォーエバーのようにエレクトリックギターでガリガリと弾きまくっているアルディメオラの方が好みである。チックコリアが亡くなった今、リターントゥフォーエバーの復活は望むべくもないが、アルディメオラにはいつまでも元気でいてほしいと思う。