林哲司の作曲を聴いてみる(70・80年代)

こんにちは、nullです。
今回は、林哲司について特集したいと思います。
彼は当時流行したAOR、シティポップを取り入れた作曲で、80年代を中心にヒットを連発しました。
そこで、彼の来歴と代表曲について紹介したいと思います。

林哲司の来歴

林哲司はヤマハの「ライトミュージック」の編集に携わり、1973年にシンガーソングライターとしてデビューします。
1970年代後半からはJigsaw、松原みき、竹内まりやなどの楽曲の作曲・編曲を担当し、1980年代は中森明菜や原田知世、菊池桃子、杉山清貴&オメガトライブ、河合奈保子などのアイドルやバンドの作曲・編曲を手掛けることになります。

林哲司のアイドル・歌手への提供曲(70・80年代)

竹内まりや 「September」

竹内まりやはデビュー当時は提供曲を歌っていたわけですが、「September」が彼女の作曲・作詞でないことに驚きました。
ちなみにコーラスはデビュー前のEPOが担当していたそうです。
どうりで竹内まりやと雰囲気が似てると思いました。おそらくEPOは彼女から何らかの影響を受けていたのでしょう。
竹内はこの曲でレコード大賞の新人賞を受賞しました。

松原みき 「真夜中のドア」

これが噂の海外でかなりの人気になっている楽曲です。この曲が収録されているアルバムのバンド演奏者もとても豪華な面々です。セッションミュージシャンも松原正樹や林立夫、後藤次利など一流ミュージシャンが担当していました。
↓松原みきに関する記事

中森明菜 「北ウィング」

北ウィングって成田空港の第一ターミナルの北部分のことらしいです。
ちなみにギターはあの松原正樹です。
80年代の松原率が半端ないです^_^;
当時のアイドルやアーティストの曲を調べると必ずと言ってもいいほど、この方の名前が出てきます。


↓松原正樹に関する記事

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杉山清貴&オメガトライブ 「ふたりの夏物語」

これが林哲司曰く、わずか三日で書き上げた曲。。。とは思えません。
そして、オリコンチャートで38万枚とバンド史上最大の売り上げを記録しました。
この曲は日本航空の85年のCMソングらしいです。(まさかこの後に日本の航空史上最大の事故が起きるとは夢にも思わなかったでしょう。)
あと、林哲司が手掛ける曲には必ず康珍化という作詞家が出てきます。
この方についても、後々取り上げようと思います。

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