フュージョンベーシストのジャコ・パストリアスを聴いてみる
今回はフュージョンベーシストのジャコパストリアスを紹介する。
元はドラマーだった
彼は元々ドラムをプレイしていた。しかし、13歳にフットボールでの怪我によってドラムを諦めざるを得なくなった彼は、代わりにベースギターに持ち替えた。
彼のドラムプレイはウェザーリポートのアルバム「ヘヴィーウェザー」の「ティーンタウン」でも聴くことができる。ちなみにこのアルバムのM6「パラディアム」ではスティールパンを演奏している。
ウェザーリポートのベーシストとして活躍
ジャコはフロリダでライブ中だったウェザーリポートにラブコールを送っていたそうだが、キーボードのジョー・ザヴィヌルに無視されていたそうだ。しかし、ジョーは彼のデモテープを聴いて考えを改め、ウェザーリポートを離脱することになったアルフォンソジョンソンの後任ベーシストの座を獲得することになった。
ジャコが本格的に参加したアルバム「ヘヴィーウェザー」は、ジャズスタンダードになった「バードランド」やスピード感あふれるジャコの名演「ティーンタウン」などが収録されており、現在でも名盤として名高い。
ジャコは脱退する1981年まで、ウェザーリポートに参加した。
破滅への道
ジャコは薬物乱用と双極性障害により、音楽活動に支障をきたすようになる。この傾向はウェザーリポート脱退直後から顕著になり、それに起因したものかは分からないが、ニューヨークのジャズ・クラブを出入り禁止になるほどの奇行を繰り返していた。
彼は2回精神病院に入院した。一度目は音楽仲間のマイケルブレッカーに説得され、二度目はホームレスになっているところを前妻に助け出されて。
しかし、その間にも彼は小規模のライブやレコーディングには出演していたのだから、それだけ仲間に恵まれれていたのかもしれない。
1986年にリリースされた盟友マイクスターンのアルバム「Upside Downside」。M4「Mood Swings」のレコーディングにジャコは参加している。
しかし、前述のようなことがあり、1985年からの彼の足取りが掴めなくなっていく。
そして、悲劇が起こる。1987年、地元フロリダのクラブにジャコは現れた。泥酔状態だった彼は店のガードマンと喧嘩になり、ジャコはコンクリートに頭を打ち付けて意識不明の状態になった。
植物状態になったまま意識の戻らない彼は、家族の決断により生命維持装置を外され、35年の短い生涯を閉じた。
生前、ジャコはトップベーシストとしてのプレッシャーに苦しんでいたという。数々の伝説を生み出した彼は、皮肉にも自らの才能によって身を滅ぼしてしまったのだ。