フュージョンギタリスト・渡辺香津美を聴いてみる
今回はフュージョンギタリスト・渡辺香津美を紹介する。
高校生のときにデビュー
渡辺は小学生の時にギターを始め、高校時代にジャズギタリスト中牟礼貞則に師事してジャズを学び始めた。
1971年、17歳の時にアルバム「インフィニット」でデビュー。
マイルスデイヴィスに誘われたものの
渡辺の演奏を聴いていたマイルスデイヴィスは、「●月●日に●●スタジオに来い」と声をかけたが、渡辺本人は彼の話を聞き取れなかったため、勧誘だと気が付かなかった。
案の定、マイルスが指定した期日に渡辺はスタジオに現れなかったため、代わりにマイク・スターンが参加した。
マイルスが来日した際、マイクは渡辺に「(もし渡辺がスタジオに来ていれば)俺ではなくお前だったかもしれない。」と言っていたという。
おそらく渡辺香津美が参加するはずだったであろうマイルスのアルバム「The Man With The Horn」
マイクスターンのパワフルなギターサウンドが聴ける。
「TOCHICA」
ステップスアヘッドのマイク・マイニエリのプロデュースにより1980年にリリースされたアルバム。代表曲は「ユニコーン」。
前年にリリースされた「KYLIN」とともに、彼の超絶技巧のギターテクニックを知る上で外せない名盤である。
元々はマイクマイ二エリのファンだった渡辺が、来日していた本人にプロデュースを頼み込んだのが始まりだった。
マイクは渡辺の申し出をあっさり承諾したので、社交辞令だと思ったという。
しかし、一年後にYMOのツアーで渡米した際に、約束をすっぽかされたと勘違いしたマイクがカンカンになって現れたという。
冗談ではなかったと渡辺はやっと気づき、翌80年3月渡米して「TOCHIKA」を録音した。
こんにちは。宜しくお願いします。
マイニエリ氏の件は、再会した時にマイニエリ氏が「プロデュースの話はどうなった?」と話題を振ってきたから、渡辺氏は「あっ、あれは社交辞令じゃなかったんだ…」と思い直したと言う事で、決して立腹していた訳ではなかったようです。
思うに、マイルスの選考基準は、ジョン・マクラフリンやマーカス・ミラーのようにレンジが広く、破格のミュージシャンか、ピート・コージー、フォーリーのような、オンリーワンな強烈な個性を持ったミュージシャンのどちらかだと思います。
ジャズも弾ける、ロックも弾ける、みたいな、器用なだけのミュージシャンは使わないでしょう。
コメントいただきありがとうございます。
渡辺香津美のそういう人間的なエピソードはとても好きです。しかし、それが祟って、いろいろなチャンスをフイにしたのではないかと私は考えています。
マイルスのエピソードも、もしかするとマイクスターンが話を盛った可能性も有りますよね。マイルスが共演したい相手なら、この後で実現しているはずですからね。
彼がマイルスともし共演していたら、いったいどんな演奏が生まれていたのか。時すでに遅しですがとても気になります。