メルカリのCMで流れていた曲は何?
こんちわ、Nullだよ。
今回はジャズのスタンダード・ナンバー「マック・ザ・ナイフ」を紹介するよ。
「マック・ザ・ナイフ」は最近のCMにも使われていたよ。
「マック・ザ・ナイフ」は元々、ドイツの劇作家ブレヒトの「三文オペラ」の劇中歌であり、作曲はクルト・ヴァイル、作詞はブレヒトがそれぞれ担当している。後に英訳され、以来多くの歌手に歌われてきた。
歌詞は殺人鬼のマックヒースの悪行について歌われているけれども、曲自体はとても軽快で口笛を吹くような調子で歌われる。(ドイツ語のオリジナルは貴志祐介のサイコホラー小説「悪の教典」で引用されている。)
1959年にボビー・ダーリンがこの曲を歌って大ヒット、1960年にグラミー賞に輝いている。
殺人鬼の歌であることなど忘れてしまうくらいに、軽やかなナンバーとして歌いこなすボビー・ダーリン。
彼はヒット歌手として活躍する一方、彼の生い立ちはとても複雑で、慕っていた姉の正体が自分の母親だったというショッキングな出来事にも見舞われている。
ほどなくして彼は、幼少期から患っていたリウマチ熱の後遺症で早世した。
エラ・フィッツジェラルドの「マック・ザ・ナイフ」は衝撃的だった。
ボビー・ダーリンが静かな海を航海する豪華客船だとすれば、彼女は荒波にもまれる帆船のようだ。
ジャズシンガーとして脚光を浴びるものの、幼少期からの悲惨な経験、2度の離婚をする不幸にも見舞われている。
そして、この曲を歌っている時、彼女はすでに40代。酸いも甘いもうんざりするくらいに知りつくしたはずだ。
しかし、そんなことは一切おくびに出さず、最初は彼女の陽気な歌声から始まる。
そして中盤から嵐が始まる。いきなりサッチモが現れ、西ベルリンの観客の心を徐々に揺さぶっていく。
最後は彼女の中のスピードメーターは振り切れ、さらなる高みに登っていく。
彼女を止められる者はいない。まさに冒険者だ。
そして鳴りやむことのない膨大な拍手。
こうして陽気な「マック・ザ・ナイフ」は、戦争と分断に傷ついた西ベルリンの元に帰ってきた。
(共産主義者だったブレヒトの著作は当時のナチス政権によって禁書にされ、彼自身も弾圧の対象になったため、各国を転々とした。最終的に落ち着いたアメリカでも共産主義者という理由で政府からマークされていた。)