フュージョンギタリストのラリーカールトンを紹介する
今回はフュージョンギタリストのラリーカールトンを紹介する。
クルセイダーズに参加
1971年から1976年にかけてクルセイダーズに参加している。
1975年リリースの「Chain Reaction」のタイトル曲。
クルセイダーズはラリーカールトン以外はメンバー全員黒人なんだけど、聴いてみるとギターもR&Bのフィーリングが強くて、説明されないと黒人ミュージシャンが演奏していると勘違いするだろう。ラリーの特徴はB.Bキングなどに影響を受けたブルージーなギターである。今であればブルースやR&Bを演奏することに人種は関係ないように思うが、1970年代当時としてはブラックミュージックの要素を持った白人ギタリストはとても珍しかったのである。
ちなみにファンクも黒人特有の音楽ジャンルとみられがちだったが、1975年になんとスコットランド出身のホワイトアベレージバンドという初めて全員白人のファンクバンドが誕生した。
1978年にソロアルバムをリリース。
実は1968年に初のリーダーアルバムをリリースしていたが、1978年にリリースされた「夜の彷徨」が本当の意味での彼のデビュー作となった。
M1の「Room335」は彼の代名詞ともいえる名曲で、タイトルは彼が所有しているギター「ES335」に由来している。
その後も定期的にアルバムを出していくが、1983年にワーナーブラザーズから離れることになった。
1985年にMCAレコード(現ユニバーサルミュージック)と契約した彼は、全曲をアコースティック・ギターで演奏した「アローン・バット・ネヴァー・アローン」をリリース。新境地を開いた。
このアルバムはフュージョンがスムースジャズにとって代わる過渡期にリリースされ、M1は正にスムースジャズの王道ともいえる爽やかな曲である。
殺されかけても翌年にはカムバック
1988年、ラリーは彼の個人スタジオの前で、見知らぬ青年に銃撃され瀕死の重傷を負う。一命は取り留めたが、声帯を破壊されたため声も出せず、左腕にもマヒが残るというギタリストにとって最悪な状況だった。しかし彼は、半年に及ぶリハビリの末、翌年のアルバム「On Solid Ground」で完全復活を遂げた。
M1はスティーリーダンの代表曲のカバー。本調子とはいかないものの、とても一年前に銃撃されて瀕死の重傷を負っていたとは思えない演奏である。もはやスーパーマンである。