フュージョンギタリスト・川崎燎を聴いてみる
今回はフュージョンギタリストの川崎燎を紹介する。
ニューヨークを拠点に活動
1973年にニューヨークに移住。ジャズミュージシャンのギルエヴァンズやトニーウィリアムズ、ブレッカー兄弟など多くのミュージシャンと共演した。
渡米してまもなく川崎が参加した、ギルエヴァンズがギタリストのジミヘンドリックスに捧げたアルバム「Plays The Music Of Jimi Hendrix」。きっかけはギルエヴァンズのオーケストラに参加していたジョン・アバークロンビーが、ビリーコブハムのバンドに加入したことで欠員が出たためであった。また、ギルの力添えにより、グリーンカード(永住権)を取得したのもこの頃だ。[1]
74~76年の2年間、川崎はドラマーのエルヴィン・ジョーンズのグループに所属している間に「プリズム」や「Juice」などのソロ作品をリリースする。
1976年~1980年にかけての楽曲をセレクトしたアルバム。フュージョンをベースにしているものの、オリエンタルだったり、スペイシーだったりと、どの音楽ジャンルともつかないような無国籍な雰囲気が漂う。
晩年はエストニアで暮らしていた
1999年に、エストニアのミュージシャンとの親交がきっかけで、エストニアを中心としたヨーロッパ諸国での活動も増えていった。本人曰く、長年暮らしてきたニューヨークは飽きてきたので、他の場所で過ごすようにしているとのこと。[2]
晩年に出演していたエストニアのテレビ番組で、地元のミュージシャンと演奏している。
電子工学に精通していた理系ミュージシャン
川崎燎は子どもの時から科学に興味を持っていたということもあり、大学では物理学を学んでいた。将来は物理学の教授になることを目標にしていたものの、当時の担任が自殺したことで気持ちが変わったという。[3]
そういうわけで、元々理系分野に精通していた川崎は、1970年代後半に2年かけて独自にギターシンセサイザーを開発したり、1980年代には独学でプログラミングを修得して、当時のパソコンのコモドア64専用の音楽ソフトを4作作り上げ、多額の収入を得ることができた。[2][4]
出典・注釈
[1]小川隆夫【証言で綴る日本のジャズ】川崎 燎〈第4話〉 ギル・エヴァンスのオーケストラに参加,ARBAN , 2017
[2]Serie-J, Ryo Kawasaki Interview 2001 (Japanese),CyberFusion,2001
[3]小川隆夫【証言で綴る日本のジャズ】川崎 燎〈第2話〉 大学に入って活動が本格化 ARBAN 2017
[4]# 154 川崎 燎 RYO KAWASAKI (Part 2) JazzTokyo 小橋敦子 2017