筒美京平とブラスロックの関係

TREVOR BARLOWによるPixabayからの画像


今回は筒美京平とブラスロックとの関係を紹介する。

ブラスロックを取り入れた筒美京平の楽曲

筒美京平は昭和を代表する作曲家で、ブラスロックの要素を取り入れた代表曲が多いなと感じた。

筒美京平のブラスロック代表曲

例えば、この曲。

尾崎紀世彦「また逢う日まで」


イントロのブラスサウンドとドラムの掛け合いは力強く、悲壮感漂う別れの歌が多い日本のポップスの中でとても珍しい曲である。

小沢健二 「強い気持ち・強い愛」


ストリングスがどこか往年の昭和歌謡を思わせるのに対して、ブラスはオザケンらしいポップな印象を際立たせている。
この対比がこの曲の他のJPOPとは違う不思議さを表しているように思う。

そもそもブラスロックって何?

ブラスロックは1960年代後半に隆盛を極めたジャンルでシカゴやブラッドアンドスウェアーズが代表的なバンドである。筒美が作曲活動を始めたのもこの頃なので、ブラスロックをリアルタイムで聴いていたのは想像がつく。

ブラスロックの代表的バンドと楽曲

次にあげる楽曲は彼らの代表曲。

シカゴ「Questions 67 and 68」


1960年代のアメリカはベトナム反戦運動で揺れ動いていた。そのさなか、初期シカゴの楽曲は反戦歌が多かった。1980年代はAORバンドとして名をはせた。他にも有名な曲として「Saturday In The Park」「素直に言えなくて」などがある。


ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ「Spinning Wheel」


シカゴと同時期に活躍したバンド。この曲が収録された2ndアルバム「血と汗と涙」は7週連続全米No.1となり、グラミー賞にも選出された。しかしバンドの中心的存在のアルクーパーをはじめとした多くのメンバーが、ボーカルのデヴィッド・クレイトン・トーマスの高慢に不満を募らせ、バンドを去る結果になった。

バッキンガムズ「Mercy Mercy Mercy」


シカゴ出身のアメリカのバンド。1960年代中盤のブリティッシュインヴェイジョンのさなか、それにあやかってイギリス風の名前をつけたいということで、シカゴのランドマークであるバッキンガム噴水にちなんで命名されたそうだ。この曲は、ジャズミュージシャンのキャノンボール・アダレイの代表曲のカバー。

日本のブラスロックは?

日本ではスペクトラムというバンドが有名。

スペクトラム「サンライズ」


意外や意外。このバンドの名前は知らなくとも、プロレスのスタン・ハンセンの入場曲だったり、佐々木健介と北斗晶夫妻の登場シーンには必ず使われる曲である。バンド自体は、内輪もめにより活動期間が2年と短命だった。




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